ダンス人生を振り返ると

今月で49歳になりました。生きてこれて
良かったです本当に。

周りのおかげなんだと今改めて感じている
MR FUNKY BOOGIEなMASAOです。

さて今回は50歳に成る自分の節目で振り
返りをしていきたいのでそれを書きます。

 

思えば、
BREAKIN・BEAT STREET・WILD STYLE
に影響され始めたダンスもう34年も経っ
てしまった。キャリアだけが増えていく!
若い時は、週末になるとDISCOやCLUBに
行ってダンス仲間と家にも帰らず夜な夜な
毎週のように遊んで平日も遊んでバイトは
絶対心斎橋だった!

遊び中心の生活!考えるとよくやってたと
思うが楽しかった!

でも楽しいのは遊んでいる時だけこの時代
はダンスをすることを反対されて生きてい
た時代。ダンスをする場所にはろくなやつ
はいないというレッテルを貼られていた時
代。結いる不良的存在!
社会からも親からも友達からもいい加減や
めたらとよく言われた。
ダンスなんかで生活できるわけないだろう
と思われ育ってきた。

そのせいか、将来絶対ダンスで生活してや
ると抵抗していたことを思い出す。

だがそんな小さな市場で稼げるわけでもな
くとダメ男生活をしていた。

理想と現実の違う世界で生きていたのを覚
えている。
それは毎日少しの期待と虚しさでなんとも
言えない日々を過ごしていた。
まともな仕事の仕方もしないしダンスばか
りで生活はとても苦しく
挙げ句の果てはギャンブル依存になり借金
生活、、バカな日を過ごしていた。
とてもかっこいいとは言えない。それでも
ショーやステージでカッコつける俺がいて
無理や嘘をついた生き方をしていた。

当然恋愛をしてもクソみたいな生き方をし
ているから言うまでもなく振られるのがオ
チなパターンになる。そこで頼りになるも
のは酒と音とダンスで誤魔化す。
という負のスパイラルで生きていて幸せと
は程遠い状態だった。そんなダンスの使い
方を若い時はしていたのだ。

そんな状態でも後輩たちは僕の踊りを見て
憧れてくれていた。
でも私生活の噂はよくないもので、踊りは
うまいが人間的にイケてないと評判だった
ように思える。
当然周りはそんなことは言わないが喋ると
わかった。人脈も無く、性格も悪、お金も
ないこの状況では何をやってもどうしよう
もない感覚で絶望感を通り越えて生きるか
死ぬかの選択をしなければいけないくらい
常に思っていた。自分のせいにも関わらず
STRRET DANCEをするとこんなエネルギー
を経験しなければならないのかとダンスを
恨みかけたこともある。

こんな生活も長くは続かず結局余儀なく
社会で働く羽目になった。

強がってダンスでやっていくという思いに
一度終りを告げて自己再生に入った。
数年経って落ち着いた頃は30代に入って
からだ!時間がかかった。
その間はチームには属していたもののダン
スをどっぷりやる生活には至らなかった。
でもクソな俺でもダンスで生計を立ててい
きたいのは本音だった。
社会で仕事をしていてもやはり諦めがつか
ず思い切ってまた新たにダンスの道に戻っ
たのが35歳の時だ!
安定収入もないままの挑戦、またどん底を
選んで生きていく感覚にはなりたくないと
思って頑張っていても、この世界はお昼の
仕事より時間が自由な分、自分をコントロ
ールしないとダラけた生活になる。
そんな生き方はしたくなかった。
でも、本当にダンスでと思っていてもなか
なかだった!
なぜならその時代はダンスで生計を立てる
のは厳しいシーンの状態でもあったからだ。
流行りの時代よりも仕事は激減していた。
最悪の状態の中でどのように生きていくか
毎日考え、できるかできないかもわからな
い!?できないや〜と諦めている時間の方
が多くあったようにも思える。会社を辞め
たことに一瞬後悔をしたこともあった。
その頃を思いだすと亡きチェリーさんには
大分助けてもらった。感謝しかない!!

でも会社を辞めた時決めていたことがある
それは、、求人を見てバイトはしないと決
めていた!なぜなら本気でやりたい思いが
あるからだ!
その時はまだ実家暮らしだったのでなんと
か親にも協力してもらいながらやり過ごせ
ていた。だがいつまでも同じ状態ではいら
れなかったので必死にダンスの仕事が入る
ように頑張っていた。
でもそれでも甘かった。甘すぎた!!
やはり酒や娯楽の魅力には勝てない自分も
いたのだ。もちろん20代の時みたいな
結果は出したくない。でもなぜ頑張ろうと
しているのにまた同じようなことを繰り返
そうとしているのだ俺は?と不思議だった。
今思えば反骨精神の残りカスが自分のプラ
イドとして存在していたのがすごくわかる。
当然この気持ちでダンスをしているとこう
なる!
嫉妬、エゴ(こだわり)、怒り、自己愛性、
心が安定していないため依存型になる。
そんな状態でダンスを語っていたのだ。
何の説得力もない。ステージでのスキルある
パフォーマンスが僕の支えでしかなかった。
心の奥底ではまたシャウトしていた。また
俺の希望と未来は本当にあるのか〜と思っ
ていた。
(曲にしたいくらい)
また絶望感との戦いか〜と今度失敗したら
死ぬしかないかもと思ってダンスライフを
過ごしていました。

毎日が恐怖でしかなかったんです。

だから心を誤魔化す何かが必要になるし
ダンスどころじゃなかったような状態と
記憶してます。

そんな時一番アドバイスとレスキューして
くれたのが師匠のチェリーさんだった。
いつも怒られるけど最後は助けてくれる
人でした。時にマジで〜!ということもあり
ましたが師弟関係のあるあるです。仕事も
回してもらたり、人が断った仕事をしっか
り受けて自分の仕事にしたり、師匠もフォ
ローしてくれて何とかやれるようになって
いくことに徐々に恐怖の蓋が閉じ始めまし
た。その当時はシーンが徐々に活気を取り
戻し若手も出てきた時代でこれからやな〜
と思っていた矢先、、、

訃報です、、、、

チェリーさんが亡くなりました。

正直その時師匠がいなくなり悲しい思いと
不安な気持ちで溢れていました。

これからどうしたらいいんだ〜こんな俺が
やれていけるのか?俺が俺に疑問だらけ!

でも自分を信じる道を切り開かないと進め
ないことは自分の中で重々わかっていた。

周りに依存してきた自分はチームをやめる
ことで依存から自立の道に進むことがいい
と、、、

判断し決意した。

その時は周りの人からなぜ辞めたか不思議
に思われたりディスられたりしましたが
今思うとチームのメンバーに迷惑をかけた
が自立に向かう決意をしたことが良かった
と思っています。

そんな状態にも関わらず、先輩後輩、彼女
(今の嫁さん)生徒、すごく支えられて
ギリギリ生きてきた感じがします。
助けられてきました。
ありがとうの言葉しかありません。

それから数年経った今結婚し子供も授かり
幸せな生活を送らさせていただいてます。

ですがまだ、自分は自立に対しての思いが
甘いと認識しています。
なぜならやっと死からの恐怖から抜け出せ
た思いも残りカスがまだ自分にあると感じ
ていてこれをもっとクリアにしていく必要
があると現在思っています。
その方法は自分に責任を持ってダンスをし
ていくということです。
実際この歳で生半可ではありません。
STREET DANCEは本来若者が主体の
カルチャーその中でチャレンジしていくの
は正直怖いです。

何が怖いかというと、いっぱいあるんです。
・怪我
・ディス
・実力が落ちた時
・若手や教え子にバトルやコンテストで
負ける時
・評判
・誰からも興味を持ってもらえなくなる時

こんな気持ちが重なり合って
おっさんチャレンジ!!
自分でも何となくクレイジーと思っています。
でも僕はダンスで生きると決めた以上やれる
ところまでチャレンジしたいと思っています。
この気持ちは今の年だからこそ感じれる思い
なんだとも認識しています。

なぜなら熱狂出来る瞬間は若い時です。

ですがオリジネーターも元をただせば若手
からスタートしている。
それが今、まだ少年のように踊るおっさんに
変身しているだけだからです。

そう思えばやれます!踊れます!スキル・
パワー下げません。昔より集中している。
知識も豊富になっている。

最近では思いをリアルに感じることが自分の
肯定感に繋がり依存もあまり必要なくなって
きたように思えます。

だから、心をこう書き換えました!?

自分が助かるための

欲的発想から自分に希望を持てる自分になる
ことにシフト!!

今後のダンス人生「終わりに近づいている」
ではなく、新たなNEXT STEAGEに来ている
と感じている自分があるから、昔馴染みの考
えとそろそろバイバイする時がきたように
思えます。

これからの5年10年ダンスでの過ごし方が
楽しみです!!!その先もありますが、、w

そして、

願う気持ちを大事に日本のダンスシーンに
お役に立てる存在を目指したいと心の
そこから自分に願っています!

そして

まだまだ続くダンス人生楽しみまくっている
自分が未来にあることを願います!!

I have hoping  dance right now!!