【解決事例】発達障害・障害児・問題行動をどう見るか①

京都・大阪 劣等感を克服して本気で生きるリトリーブサイコセラピー心理セラピスト@KANACOです

 

暖かくなってきましたね。新学期も始まりドタバタドキドキの日々が始まっています。うちの娘も今年から幼稚園の延長保育も始まりまだ少し緊張気味です。(私が)

さて今日は育児や教育の現場でも必ず出くわす子供達の「問題行動をどう見るか」について私の考えを書いてみます。

Pちゃん。小学校3年生。ダウン症のお子さん。人なつっこく明るい。お母さんのお悩みは学校で次の授業への切り替えや教室移動に時間がかかってしまって出来た頃にはもう授業が終わりかけ。。。もしくはグズグズで授業受けれる感じではない。。。。療育や医寮者の見解を交えてのケース会議では、発達、障害を含め、見通しをわかりやすく、丁寧に、そして今は十分にPちゃんの気持ちを受け止める。という方針。このような事例、Pちゃんに限らずとても多いんです。担任の先生や支援者ならわかるわかる!あるある!のあるあるですよね。Pちゃんの中で一体何が起こっているのでしょうか。。。。。?

私が心理セラピストとしてみるならこうです。

ごねる事で関わりを得ている。誤学習のパターンの解決方法が見出せていない。と推察します。ここまでは学校や療育でも考えられる見立てなんですが大事なのはここからでよね。さてこれをどうやって改善していくか。

問題行動の背景

学校や療育の指導計画は本人にわかりやすい様に見通し持ちやすい様に工夫する、今はPちゃんの気持ちを大事に受け止める。否定しない、というものでした。確かにダンス教室でもレッスンのメニューとメニューの繋ぎ目や切り替わり、という場面で学校での様子と同じ様な状態が見られました。グズグズごねたり次にいけない、終わったものを一人だけまだやりたがる、、、など。学校と同じ様にPちゃんの気持ちを受け止めたり、たっっぷりPちゃんが満足行くまでそのメニューをやったりもしてみました。試行錯誤しながら1年ほど受け止める、というベースでやってみたところ、、結果、Pちゃんの場合どんどん要求がエスカレートしていってる事が分かりました。先生を独り占めしたかったり、自分の思う様に先生もお友達も動かしたりショーの構成や立ち位置までも自分が決めないと機嫌を損ね、泣き崩れ、レッスンが出来ない、、。この様な状態でした。これでは本人の要求が叶っている時はよくても、動かされた側は嫌ですよね。。。。そうです、相手は嫌なのにそれを飲んでもらう。。。どちらか一方が我慢しなければならない関係性。。これは対等な関係性ではありませんね。この頃私はちょうどリトリーブサイコセラピーという心理療法を学んでいたのでこの視点からこの問題を見る事に切り替えました。その子単体で見るのではなく、家族、家系全体で見て行く。そうした所、次の様なことが出てきました。

複雑に絡み合う糸を解く

Pちゃんのお母さん、PちゃんにNOが言えなかったんです。これは甘やかしているというふうに外側からは見える事もありますがお母さんにとっては深刻でした。

PちゃんにNOと言ったり、ダメ!っていう事はお母さんにとってどんな事?と聞くと愛情じゃない気がする、、全部受け入れるのが愛情だと思う、、。

もしNO!ダメ!って断ったらお母さんの中で何が起きますか?と聞くと、ごめん、ごめん、と罪悪感で胸いっぱいになってしまう、、。Pちゃんが他の人にNO!と言われているのを見るのも胸が痛い。。と涙が溢れる。

じゃあ今まで、Pちゃんの要求を受け入れるのが物理的に無理な場面はどうしていたの?と聞くと否定はせずに何か別のものをPちゃんに交渉してそれで納得してもらっていた、、

そうなんです。お母さんは受け入れる事が大事な人への愛情だと思っていたんです。なのでPちゃんだけでなく、夫も自分の両親も自分の兄弟も子どもも、頑張って頑張って自分の張り裂けそうな心と隣り合わせで「受け入れる」という事をやってこられていたんですね。これね、実はとっても苦しいんです。しんどい、嫌、と自分が感じていも、なんとか自分を言い聞かせ相手の要求に応える。NOの選択肢がないってめちゃ辛いんです。でもこれ、第三者から見ると、え?なんで?「だめ!嫌!」言えばいいやん!って思うかもしれませんが、言えないんです。なぜなら、お母さんは幼少期から、両親の望みを受け入れる、という事が絶対、その条件と共に存在できるという目に見えない家族の暗黙のルールがある中で育っているからなんです。この目には見えない家族だけのルール、常識を「認知の歪み」と言います。

人にはたくさんの認知の歪みがある

これ、事実でいうと、それ嫌だ!NO!って言う事と、目の前のあなた、子どもを愛している事とは、全然関係ないですよね?NO!って言ったからって愛情が無くなったり、減ったり、する事はないですよね!これが事実。だけどこのお母さんが育った家庭では、されたりNO!って言ったらダメ!許されない、それが出来ないあなたは生きる価値なし!要らない!と設定されていたら。。。自分が生きるという事に命に条件がつくって、とても生きづらいんです。家族の中で条件付きでなければ生存出来ないというルールがある事、これが事実だったんです。そうです、認知の歪みって自分の中では絶対的な常識、みんなもそうに違いないと激しく当たり前にある自分の常識が実は事実とは違う事にその人が縛られている事、をさします。言葉の通り歪んで認知しているんですね。これはこのお母さんだけではなく、私たちはみんな様々なパターンで持っています。自分の中であまりにも当たり前なので問題視しませんが人の悩みの根本は実はここにあります。

解決に向けて

Pちゃんのお母さん、その事にびっくりされてご自身でもセラピーをされたり学ぶ様になられて自分の問題に向き合う事にフォーカスされました。。。自分がしんどかった事に気がつかれたんです。

するとどうでしょう。。。。Pちゃんに変化が。。。。Pちゃんに無理な事は交渉ですり替えるのではなく、今は出来ないんだとちゃんと伝え、今はみんなでやるから、Pちゃんのその案を先生は今出来ない、とNOを出すと、もー!!と怒ったり泣いたりしますが、その気持ちをちゃんと自分でちゃんと感じて表現したり、表現する事に周りや大人が許可を出して、その感情に共感するとちゃんと次に向かえるんです。人が求めているのは感情に対する共感なんです。なので行動レベルの事柄で取引や駆け引きをしても、本人の心は実は未完了なままなんですね。それは私たち大人も同じなんです。感情というのは人間に備わった標準装備。そこを無視して行動だけしても必ずエラーが出るんですね。そこには健常児、障害児、って関係ありませんよね。その後、Pちゃんは相変わらず、自分の要求は出します。だけど、それが叶わない時があっても、一旦わかりやすく落胆しますが(笑)すぐに切り替えてみんなと一緒に踊ります。そしてレッスンの時間いっぱい楽しめます。ごまかさないで乗り越えさせてあげる。葛藤して自らの意思で次に向かわせてあげるのも大事な成長のプロセスかなと思います。

自然体で生きる

ここまで書いていて思うんですが、この話の中に、ダウン症という障害の話って、あまり出てこなかったですよね?そうなんです。そこにフォーカスする必要性がこれといってないんです。子どもの問題行動で悩む時、特に障害を抱えるお子さんの場合、学校的に、医療的に、療育的に、福祉的に、障害的に、発達的に、親的に、とたくさんの方向からの切り口や見解がありますが、根っこは人間みんな同じ。行き着くところも命の場所、親子、家族、なんです。ここが土台なんです。悩みも問題もここが土台なんです。どんな問題も根っこを見ていく。そんな視点があると世の中はもっとシンプルに見えるのかもしれません。その上で必要な支援やサポートを選び、受取り、人との関わりの中で暖かさを感じられると良いなあと思います。いつの時代も裸の心で通いあわせる、語り合う、そんな欲求が人間にはあるんじゃないかと私は思います。